松島 (防護巡洋艦) 就役 1890~1908 前述した厳島の姉妹艦で三景艦と呼ばれる艦。清の持つ艦艇に対抗するために作られたものであり、三景艦はそのいずれも小柄な図体に不釣り合いなほど大きな砲塔を搭載しているのが特徴としている。船体と砲身のバランスがあまりに不釣り合いだったため砲の旋回すれば砲の重みで船は傾き、発射すれば反動で姿勢が変化し進路に影響が出るほどだった。当時の清が保有していた艦艇よりも大口径のものをその小さな体で装備していたのだからそうなるのも無理はない。そして当時の日本の技術力ではその大口径を扱いきることは難しく、実際に戦火を上げることは無かった。ただ本艦は日清戦争では艦隊旗艦を務めていて、全く活躍しなかったというわけではなかったようだ。しかし1894年、清の戦艦の砲弾が命中。装薬が誘爆し大破。57名が戦死することになった。 日露戦争にも参加しそこでは哨戒と掃海活動に従事した。 1908年(明治41年)4月30日、海軍兵学校卒業生による遠洋航海で寄港した先で火薬庫爆発を起こして轟沈した。殉職者は、計254名に上った。多くの若い命とともに彼女の人生は幕を閉じた。三景艦の中でも、特段早い生涯だった。