厳島 (防護巡洋艦) 就役 1888~1926 清(当時の中国)の艦隊に対抗し作られた一隻。この船も前回の扶桑と同じように、日清、日露戦争に参戦しており長期間において日本海軍を支てきた一隻である。日露戦争では第三艦隊旗艦として活躍した軍艦でもあり、本艦と姉妹艦である松島、橋立の三隻は日本の名所から名づけられたことから三景艦と呼ばれている。それ以降も何度も遠洋航海に従事し、時には遭難した艦艇の救助も行うこともあり様々な場面で活躍した縁の下の力持ち的な存在であったともいえるだろう。1919年に除籍後も潜水艦母艦となったり、学校の校舎として使用されたりと任を解かれた後もその役割を果たし切り、1926に解体されることとなる。