扶桑 (甲鉄艦)

就役 1878~1908
正式名「扶桑艦」。
明治維新以降初めての有力な軍艦
当時日本海軍には軍艦という軍艦がなく度重なる乱や、出兵で有力な軍艦が必要だと痛感させられたためにイギリスに発注し作られた一隻。
日本初の戦艦とはなっているものの当時の先進国であるアメリカの軍艦と比べると、性能は半分ほどであった。
それでもアジアの中では唯一の近代的な軍艦の一隻であることには間違いはなく、長年においてその大きな力を発揮した。
途中で近代化改装工事を受け日清戦争、日露戦争に参加し、何度も艦隊の旗艦も務めるなど大きな役割を果たした。
本艦は間違いなく日本の海軍の力を大きくした一隻であり、近代化の先駆けにもなった始まりともいえる一隻であるといえる。
1908年にその役割を終え日本海軍の軍籍から除籍されることとなった。
本艦に使われた装備は他の艦に引き継がれ後の世代に未来を託し1910年横浜で解体されることになった。
日本海軍の発展に大きな影響を及ぼした彼女は日本海軍の母とも呼べる艦であるともいえるだろう。


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